愛知県一宮市にて出生し、旧尾西市にて育ちました。高校時代までは目立つこともなく何のとりえもない、ただ真面目な(?)学生でした。高校三年生になり、いよいよ進路決定になりましたが、理科系に進んでいたこともあり、医学部に行って癌細胞を根絶したいと思っていました。
受験目前の高校三年生の11月に歯科医師の祖父が亡くなり、祖父の亡き顔を見て、何をどう思ったかはわかりませんが、「僕も歯科医師になろう」と思い進路変更をしました。
その時は、歯科医師になって患者さんのためにとは思わず、ただ単に歯科医師になろう その感情だけでした。今から思えば何かの縁だったのかもしれませんね。
大学は地元の愛知学院大学歯学部に進みました。大学時代は、ゴルフ部に籍を置いていました。特にゴルフに興味があったわけではなく、先輩の勧誘攻撃に断りきれなくなって入部したというのが実情です。
ゴルフ部というと優雅なように見えますが、歯学部でもいろんな意味でかなり厳しい部活動で、月、水、金曜日と練習がありましたが、練習が終わって家に帰ると午後11時過ぎになり、それから勉強をしての繰り返しで、何回も辞めようと思いました。しかし一学年上の先輩や同級生にも励まされ、何とか続けられました。
その時の礼儀作法や人を思いやる気持ちを植え付けられたことが今でも役に立っています。
練習はきつかったけれど続けてよかったと思っています。(しかし、今では平成7年以来ゴルフのプレーをおこなっていません。学生時代におこなったゴルフは極度の緊張感の中での試合が多かったため、面白味を感じず、芝のにおいがするゴルフ場に行くのが嫌になったからです。また、先輩から「ゴルフが上手でも患者さんは喜ばない、きちんと歯科治療ができたうえでゴルフが出来ればかっこいいけどな」との一言が耳から離れず、二兎を追うものは一兎をもえず のことわざがあるように、私にはそれは無理だと思ったこともゴルフを辞めるきっかけでした。ただ、プロゴルフ中継はたまに見ますけどね。石川遼君はさすがにうまいですねぇ~。)
その時に同じ釜の飯を食べた方たちとは、今でも交流があります。
学生時代を四苦八苦しながら何とか乗り越えて、無事国家試験合格ののちに、名古屋市の大型歯科医院に勤務して、色々な経験を積ませていただきました。大勢の歯科医師が常勤していましたので、お休みもバラバラでした。私は、土曜、日曜休みをいただいておりそのころからよくセミナーで東京大阪名古屋に行って研鑽していました。その勤務中に、日本顎咬合学会元会長である、東京の矢澤一浩先生と出会い、セミナーで部分入れ歯などを教えていただきました。矢澤先生は昭和2年生まれのとてもダンディーな方で、大変可愛がっていただき、東京で短期でしたがお世話になった時の勉強は今でも役に立っています。(矢澤一浩先生は、日本の重鎮の歯科医師の一人で、部分入れ歯のスペシャリストの先生です。)
平成8年4月に現在地で開業し、現在に至りますが、私には次のような信念があります。
かぶせ物などは入れた時が一番いい状態で、永久にもつものなどない。しかし、急激な坂を落ちるのではなく、いかにゆっくりとした坂を下りて行ってもらえるようにするか、再治療の割合を少なくしていくか、そのために理論的背景に基づいた治療技術を研鑽(けんさん)していきます。
歯科における科学の扉は未知の部分が多く、年々新しい情報に塗り替えられています。しかし、その情報を鵜呑みにするのではなく、きちんと検証して取り入れることのできるものは取り入れ、来院者の方に貢献していきます。
定期来院をしていただくことが予防の大前提と位置付けているので、いかに気持ちよく来ていただけるようにしていくかを常に考えていきます。
来院者の方に、歯科の情報提供をして、不安を少なくするようにしていきます。
以上の考えにて診療を行っております。少しでも患者様のお役にたって、貢献できればと思っています。
きたいま歯科 | |
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